骨髄異形成症候群にかかった男が骨髄移植をして社会復帰するまでの闘病記

Since.2002.1.20

入院日記(移植決意〜1999.6〜9)

その後、再び何もしない生活が続きました。
そして、この頃になると、もうすっかり病院にも慣れ、ほとんど家かの如く
自由に過ごしていました。(ある意味家以上かも・・・。)

さて、そのまま何もせずに入院から半年が過ぎ、
どうやら、このまま変化もなさそうなので、退院。。という話が出だしたまさにそのとき、
2000台で保たれていた白血球が再び上昇。
しかも、前と同じようにふえるはずのないものが・・・・・増えだしました。

これを見た当時の主治医(6月から変わりました。)・・・・
「これだと、移植をした方がいいかも知れん。」
正直迷いました・・・・。なぜなら、少なくとも見た目には何の変化もない上に、
この状態そのものが、はたしていいのかどうか・・・・がよくわからないからです。
(もちろん普通ではないですよ。)
なのに・・・・、本当に移植までする必要があるのか??

しかし、ここで、あることが頭によぎります。。
移植の場合、急性期にやるよりも、慢性期にやった方が結果がよいという事実。
さらに、この状態は決して正常ではない上に、
白血病化する可能性が相変わらずあるという点・・・。
などなど、いろいろ考えた結果(といっても2・3日(笑))
最終的に移植をすることに同意しました。

さて、ここから移植の準備に入ります。
まず、今回の最初の段階で、家族のHLAの照合はすでにやってありました。
結果は・・・・・・一致する者なし・・・・。
次に、骨髄バンクに登録して、一致する者がいるか探してもらいます。
しばらくしてから結果が来ました。その結果は・・・・・これも一致する者なし。
(このときにいまどき珍しい・・・といわれたことはよ〜〜覚えてる。(笑))
さて、それではどうしようかと・・・・・。
費用はかかるが、海外のバンクに問い合わせてみるか??
(実際これもやったんだが・・・・。)
などなど、いろいろやってるうちに、
一座不一致の人がいてるかどうか調べてもらうわ。と主治医。。
わたし・・・?????・・・・
確か移植って、一致してないとできないんじゃ??と思ったのですが、
しかし、よく聞くと、一致してなくてもやってるとこもあるらしい・・・・
ということで、一座不一致の人がいてるかどうか調べてもらいました。
さすがに、これには適合する人がいてました。

そして、次はこの病院ではできないので、移植する病院の選定。
通常なら、移植する施設は決まっているらしいのだが、
(もっとも、希望を言えば希望が通るかもしれませんが・・・。)
わたしの場合はそういう特殊な事情ですので、自分で選ばせてもらえることに・・・。
(ただし、この移植に対してその病院の倫理委員会の承認を得ているところが条件。)
リストを見ると・・・・京都のK病院、大阪のK病院、大阪のO病院、兵庫のH病院などなど・・・。
まず、私立である大阪のK病院とH病院は除外。
(なぜなら、金がかかると聞いているから・・・。(笑))
で残ったのが京都のK病院と大阪のO病院・・・・・
ここで、K病院は遠いので結果残ったO病院に決定。(笑)

そして、当時の主治医とO病院の主治医(今の外来主治医)の間で
初診、その他もろもろの手続きが始まる・・・。

Chapter6に続く

        

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